タグ: 巨大男
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佐々木 健二(ささき けんじ)。中堅商社に勤める、ごく普通のサラリーマンだった。いや、「だった」と言うべきだろう。
その日も、彼は終わらない残業と上司からの叱責、積み重なるプレッシャーに押し潰されそうになっていた。資料の数字を睨みつけ、眉間に深い皺を刻んだまま、彼は無意識に拳を握りしめていた。「もう、限界だ…」心の中で呟いた、まさにその瞬間だった。
「ウオオオオオオオッ!!」
自分の喉から発せられたとは思えない、地響きのような咆哮と共に、佐々木の身体は凄まじい勢いで膨張を始めた。オフィスビルの天井を突き破り、窓ガラスが砕け散る。スーツは引き裂けんばかりに張り詰め、ネクタイが風にあおられて踊る。視界が急速に上昇し、眼下に広がる街並みが、まるでミニチュアのように見えた。
何が起こったのか理解する間もなく、彼の巨体は、慣性と自身の重みで地上へと落下した。
ゴオオオオォォンッ!!
着地の衝撃は、高架道路をいとも簡単にへし折り、周囲のビルを揺るがした。アスファルトが砕け、土煙が舞い上がる。耳をつんざく破壊音と、人々の悲鳴が遠くに聞こえる。
画像は、まさにその着地の瞬間を捉えている。長年溜め込んできたストレス、抑圧された感情、満たされなかった承認欲求。それら全てが、物理的なエネルギーとなって爆発したのだ。彼の表情は怒りか、苦痛か、それとも、全てから解放された雄叫びか。
もはや佐々木健二という個人の意思を超え、巨大なスーツそのものが質量を持った災害と化していた。
彼が一歩踏み出すたび、足元では悲劇が起こる。磨き上げられていたはずの巨大な革靴――今やそれは、ビル数階分に匹敵する質量を持つ鉄槌だ。硬いレザーのソールがアスファルトにめり込み、地響きと共に放射状の亀裂が走る。次の瞬間には、道路は粉々に砕け散り、乗り捨てられた車はブリキのおもちゃのように潰れていく。
ドォォン!
革靴の踵(かかと)が、オフィスビルの低層階をいともたやすく打ち砕く。鉄骨がきしみ、コンクリートの破片が滝のように落下する。人々が逃げ惑う悲鳴すら、その巨大な靴音にかき消されてしまう。
スーツもまた、凶器だった。彼がわずかに身じろぎするだけで、巨大なスーツの硬い生地が隣接するビルの壁面を削り取る。腕を振り上げれば、袖口が巻き起こす風圧で窓ガラスが一斉に吹き飛んだ。風を切るネクタイですら、叩きつけられれば小型車を横転させるほどの威力を持っていた。
それは、彼が普段窮屈に感じていた「社会の鎧」そのものだった。その鎧が今、皮肉にも物理的な破壊の象徴となり、彼が憎んでいたはずの街並みを蹂躙していく。
佐々木自身は、もはや自分が何をしているのか、正確には把握できていないのかもしれない。ただ、足元で砕け散る瓦礫の感触と、全身を包む巨大なスーツの重さだけが、彼の存在を証明していた。
足元で砕け散る文明の残骸を見下ろし、佐々木は天を仰いで再び叫んだ。それは、これまでの矮小な自分自身への決別であり、予期せぬ巨大な力への戸惑いであり、そして、これから始まるであろう未知の運命への咆哮だったのかもしれない。
巨大化したサラリーマン、佐々木健二。彼の意図せぬ破壊は、まだ始まったばかりだった。
佐々木健二は、巨大化した自分の足元を見下ろした。そこには、彼が毎朝うんざりしながら磨き、窮屈な思いで履いていたはずのビジネスシューズがあった。だが、それはもはや単なる靴ではない。一つ一つが小型のビルほどの大きさを持つ、巨大な革靴へと変貌していたのだ。
鏡面のように磨き上げられていたはずの黒いカーフスキン。今は土埃とコンクリートの粉にまみれ、鈍い光を放っている。そのつま先は鋭利な鉄塊のように、踵(かかと)は巨大なハンマーのように見えた。それは、彼を縛り付けていた社会のルール、ビジネスの戦場を象徴するアイテム。そして今、最強の破壊兵器と化していた。
「……っ!」
言葉にならない衝動が、佐々木を突き動かした。彼は右足を振り上げ、眼下の、かつて自分が渋滞に巻き込まれて舌打ちした高架道路を狙った。
ドゴォォォンッ!!!
巨大革靴の硬いソールが、分厚いアスファルトと鉄骨の構造物を、まるで薄い氷を割るかのように貫いた。道路は無残にへし折れ、支柱が砕け散る。落下するコンクリート片が、下の道路に停まっていた車を押し潰し、爆発音と黒煙が上がる。
一撃。ただの一撃で、都市のインフラが破壊される。その圧倒的な威力に、佐々木自身、一瞬息を呑んだ。だが、すぐに奇妙な高揚感が湧き上がってくるのを感じた。
そうだ、この靴で、いつも自分は走り回っていた。すり減ったヒールは、達成感のない営業回りの証。つま先の傷は、満員電車で踏まれたやるせなさの記憶。この靴は、彼の抑圧の象徴だったのだ。
ウオオオッ!
佐々木は咆哮し、今度は左足の巨大革靴で、かつて自分が頭を下げて入ったことのある取引先の高層ビルを蹴りつけた。つま先がビルの壁面に突き刺さり、ガラスと外壁を派手に吹き飛ばす。まるで巨大な爪で引っ掻いたかのように、ビルに深い傷跡が刻まれた。
彼は止まらない。巨大革靴で地面を踏み鳴らすたびに、大地が揺れ、周囲の建物が共振して窓ガラスを震わせる。踵で踏みつければ、地面は陥没し、地下鉄のトンネルが崩落する音すら聞こえてくるかのようだ。靴紐を結ぶように足を動かせば、その動きだけで電柱や街灯が薙ぎ倒されていく。
人々が逃げ惑う姿が、アリのように小さく見える。彼らの悲鳴は、巨大革靴が立てる破壊音の前では、ほとんど意味をなさなかった。
佐々木は、もはや自分が何者なのか、分からなくなっていた。ただ、この黒い巨大革靴という鉄槌を振るうたびに、胸の奥で燻っていた何かが、少しずつ解放されていくような感覚だけがあった。破壊の限りを尽くすその足元で、かつての彼が属していた世界が、粉々に砕け散っていく。
破壊の限りを尽くした佐々木健二の巨体は、しかし永遠に動き続けられるわけではなかった。急激な巨大化と、それに伴う常識外れの破壊活動は、彼の心身に想像を絶する負荷をかけていたのだ。
「はぁ…はぁ…っ!」
息が上がる。視界が霞み、全身の筋肉が悲鳴を上げている。巨大なスーツは、もはや彼を守る鎧ではなく、動きを制限する重く硬い拘束具のように感じられた。
その時だった。足元の瓦礫にバランスを崩したのか、あるいは限界を超えた疲労によるものか、佐々木の巨体がぐらりと傾いた。
「う、おお…っ!?」
立て直そうとする意思とは裏腹に、体は重力に従う。まるでスローモーションのように、彼の巨躯はゆっくりと、しかし止めようもなく、隣接する高層ビル群へと倒れ込んでいった。
ゴゴゴゴゴ…… ドッゴォォォォン!!!
巨大なスーツの肩が、背中が、次々とビルに激突する。硬い生地は衝撃を吸収することなく、むしろ一点に集中させるかのように、ビルの外壁を砕き、鉄骨をへし曲げ、フロアを押し潰していく。スーツの生地がコンクリートと擦れる耳障りな音、ガラスが砕け散る音、そしてビルそのものが崩壊していく轟音が、一体となって街に響き渡った。粉塵が爆発的に舞い上がり、太陽の光を遮る。
倒れ込んだ衝撃で、佐々木は激しく咳き込んだ。瓦礫と粉塵の中で、彼はもがきながら身を起こそうとした。視界の先には、まだ無傷で聳え立つ、ひときわ高い通信タワーが見えた。
それはまるで、彼の矮小さを嘲笑っているかのようだった。
「……くそっ!」
怒りなのか、自暴自棄なのか。佐々木は倒れた姿勢のまま、足元の巨大な革靴に手を伸ばした。指が、まるでクレーンが瓦礫を掴むように、硬いレザーを掴む。
そして、渾身の力を込めて、その巨大革靴を――まるで砲弾のように――通信タワーに向かって投げつけたのだ!
「うおおおおおおおっ!!」
重さ数十トンはあろうかという巨大革靴が、唸りを上げて宙を飛ぶ。それは不格好な、しかし圧倒的な質量を持った凶器だった。黒い塊が空を切り裂き、一直線にタワーへと迫る。
タワーの中間部に巨大革靴が激突した瞬間、凄まじい衝撃音が響き渡った。金属が歪み、引きちぎれる音。構造体が致命的なダメージを受け、タワーは大きく傾ぎ始める。
ドォォン… バキバキバキッ…!
そして、巨大な鉄の塔は、ゆっくりと、しかし確実に、自重に耐えきれず折れ曲がり、轟音と共に地上へと崩れ落ちていった。
投げ放たれた巨大革靴は、タワーの残骸と共に瓦礫の中に突き刺さっている。佐々木は、倒れ込んだまま、その光景をただ呆然と見つめていた。スーツは埃と傷にまみれ、片方の足は靴を失い、巨大な靴下が剥き出しになっていた。彼の周囲には、ただ破壊と静寂だけが広がっていた。
通信タワーの残骸を呆然と見つめていた佐々木健二は、ゆっくりと身を起こした。巨大なスーツは埃と瓦礫で汚れ、あちこちが擦り切れている。そして彼の右足は、先ほど投げ飛ばしたため、黒いビジネスソックスが剥き出しになっていた。いや、その衝撃でか、靴下すら一部が破れ、巨大な親指の爪が覗いている。
「……」
もはや言葉はなかった。ただ、目の前に広がる破壊された街並みが、非現実的な現実としてそこにあるだけだ。ふと、彼の視線が足元近くに残骸を免れた一台の白い乗用車を捉えた。持ち主が慌てて乗り捨てたのだろうか、ドアが開いたままになっている。それは、かつての日常の、あまりにも矮小な象徴だった。
佐々木の中に、再び黒い衝動が湧き上がる。まるで虫けらを払うかのように、彼は無造作に、靴下(と一部素足)の右足を振り上げた。太陽の光を浴びて、巨大な足の裏が影を作る。薄汚れた靴下の生地、破れた隙間から見える皮膚の質感、そして硬そうな爪。
グシャァッ!!
次の瞬間、巨大な足裏が白い乗用車を真上から押し潰した。金属が悲鳴を上げる甲高い音、フロントガラスやサイドウィンドウが一瞬で粉々になる音、タイヤが破裂する鈍い音が連続して響く。
乗用車は、まるで空き缶のように、一瞬でぺしゃんこになった。屋根はフロアに張り付き、歪んだドアが不格好に突き出ている。エンジンオイルかガソリンか、黒い液体が潰れた車体からじわりと滲み出した。
佐々木の足裏には、硬い金属を踏み砕いた鈍い感触と、砕けたガラス片の鋭さが、薄い靴下の生地を通して伝わってくる。ほんのわずかな痛みすら感じたかもしれない。だが、彼の表情は変わらない。
スーツ姿の巨人が、片方だけ靴下(と素足)で、いともたやすく車を踏み潰す。その光景はあまりにもシュールで、滑稽ですらあった。しかし、そこにユーモアはなく、ただ圧倒的な破壊と、人間性が失われていくような空虚さだけが漂っていた。
佐々木はゆっくりと足を上げ、潰れた鉄塊となった乗用車を見下ろした。そして、また別の破壊対象を探すかのように、重々しく視線を動かし始めた。彼の巨大な足跡は、文明の残骸の上に、くっきりと刻まれていく。
陽が傾き始め、破壊された街並みをオレンジ色の光が染め始めていた。粉塵は少しずつ収まり、あたりには異様な静寂が訪れていた。佐々木健二は、自分が引き起こした惨状の中心に、ただ一人(一巨人?)立っていた。
潰れた車、へし折れた高架道路、半壊したビル群。それは彼が内面に溜め込んできたストレスと怒りが具現化した風景だった。彼はゆっくりと周囲を見回した。その表情は、もはや怒りでも苦痛でもなく、むしろ嵐が過ぎ去った後のような、奇妙な凪の状態にあった。
「ふぅ……」
巨大な肺から、長い溜息が漏れた。それは疲労のため息か、それとも、何かをやり遂げた後の安堵のため息か。
彼は、足元に転がる巨大な革靴(投げた方)には目もくれず、もう片方の靴も無造作に脱ぎ捨てた。ゴトン、と重い音を立てて革靴が瓦礫の上に落ちる。これで両足とも、薄汚れ破れた靴下(と一部素足)の状態になった。
スーツのネクタイを少し緩めるような仕草をする。もちろん、その動きですらビル風を起こすほどの規模だが、どこか日常の動作を思わせた。
そして、彼は踵を返した。破壊された街の中心に背を向け、夕陽に向かってゆっくりと歩き始めたのだ。
その歩みは、もう破壊を目的としたものではなかった。巨大な素足は、瓦礫を注意深く避けながら(それでも小さな建物くらいは踏み潰してしまうのだが)、着実に前へと進んでいく。まるで、長時間の仕事を終え、疲れ切って家路につくサラリーマンの後ろ姿のようだった。
巨大な背中が、夕陽に照らされて長い影を落とす。その影は、彼が破壊した街の上に、巨大な傷跡のように伸びていた。
彼がどこへ向かっているのか、誰にも分からない。元の大きさに戻るのか、それとも巨大なままどこかへ消えるのか。ただ、その背中には、破壊の衝動を出し尽くした後の、奇妙な「満足感」と、それと同じくらいの深い「虚無感」が漂っているように見えた。
破壊された都市のシルエットの中に、巨大なスーツ姿の男が、裸足で歩き去っていく。そのシュールで物悲しい光景を、生き残った人々はただ呆然と見送るしかなかった。
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